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本が好きで、特に偉人伝や、生き方、在り方の本が好きです。
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いい旅の始まり・・。

2008年05月29日

 小栗 忠順(おぐり ただまさ)公 終焉の旅 ということで、


5月25日に 小栗 忠順(おぐり ただまさ)公 終焉の土地である、


東善寺を訪ねることになりました。


その日は、このブログで出会った、おざきゆりさんと東京駅で待ち合わせ。


おざきゆりさん は、小栗さんとご縁があり、案内してもらうことになりました。


(おざきさん、この場をかりてありがとうござましたニコニコ


おざきさんから、安中榛名 という駅を教えてもらいました。


東京駅から新幹線で、安中榛名駅まで。


安中榛名駅から東善寺さんという道順です。




おかげで、約1時間20分くらいで目的地に着きました。


  
タグ :安中榛名

Posted by kazuみん at 23:18Comments(1)TrackBack(0)歴史への旅

小栗 忠順(おぐり ただまさ)公 終焉の旅①

2008年05月27日

  このブログでは、毎回 違う「偉人のことば」を


書こう!なんて思ってましたが、


ラッキーキラキラ 


にも、小栗 忠順(おぐり ただまさ)公 終焉の地 である、


権田(群馬県)、東善寺さんを


訪ねることになりました・・・。


「歴史への旅」を書こう~なんて、思う前に、


なぜ、小栗さんを知ったのか・・ニコ


というと、以前、民放の時代劇で、


俳優の風間杜夫さんが、小栗さんの役をしていて


NOと言える日本人


とナレーターにあったのを、なぜか、


心の中でひっかかっていましたニコニコ



そして、数年した後、



横須賀の友人に会いに行った時、横須賀を案内してくれました。



浦賀、ペリー公園、横須賀港、米軍基地、戦艦三笠、


ヴェルニー公園


坂本竜馬の奥さんであった、お龍さんの墓地、お龍会館など、


・・・・・・・


あのときは、あまり深く考えてなかったけど、



最近、ネットでネットサーフィンしてると、


東善寺さんのサイト


を見つけました。



「幕末開明の人・小栗上野介の寺 」東善寺・・



サイトを読んでみると、すごく、


NOと言える日本人



と、横須賀を旅したことが記憶にのぼり、


何かつながっているような感じがしました。



  

Posted by kazuみん at 22:46Comments(0)TrackBack(0)歴史への旅

小栗 忠順 (おぐり ただまさ)

2008年04月28日

小栗 忠順(おぐり ただまさ) または、小栗上野介(おぐり こうずけのすけ) 

とも呼ばれています。(1827生まれ 1868没する)

幕末、徳川幕府の要職にあり活躍されました。


ある徳川幕府の幕臣が、幕末に

「幕府の運命もなかなかむつかしい。費用をかけて(これから

造船所を造っても、完成するころには、幕府はどうなるか分らない」

と言って、(造船所建設に反対し)たところ、小栗忠順は様子を改めて、

次のように語った。


サクラ『幕府の運命に限りがあるとも、日本の運命には限りがない。

自分は幕府の臣であるから、幕府の為に仕える身

ではあるけれども、それは結局日本のためであって・・・詳しくはこちらへ

』  

江戸幕府の要職についていた、小栗 忠順 (おぐり ただまさ)の言葉です。


 のちに、横須賀造船所は、日露戦争の勝因ともなります。



1850年代、ペリーが琉球を経て、浦賀に来航します。

当時、鎖国だった幕府は、日米修好通商条約批准の遣米使節に

目付けとして小栗 忠順を大抜擢します。

作家の司馬遼太郎さんは、「明治の父」とも書いており、

その本には、遣米使節の人選で、「幕府は、正使、副史をお飾りとし、切り札のような俊才として

小栗を目付として加えたのです」 と書いています。

・・おすまし司馬遼太郎「明治という国家」より引用



 当時、使節団はアメリカで、大歓迎を受け、日本で初めて世界一周をして

帰ってきます。

小栗忠順は、日本に帰ってきた後、外国奉行、陸軍奉行、軍艦奉行、勘定奉行などを

歴任し、横須賀に造船所を建設したり、株式会社を造ったり、フランス語学校造ったりします。



 幕府の中での、活躍ではあるのですが、

折りしも時代は、薩長の流れで倒幕となり、

幕府内で主戦論を唱えていましたが、聞き入れてもらえず、領地の権田村へ。

そこで、倒幕軍の追討令により捕らえられ、

弁解の余地もなく家臣とともに斬首となります。享年41歳。

刑が行われた水沼河原には、権田村の人達が顕彰慰霊碑を建て、

そこには、こう書かれています。


 「偉人小栗上野介罪なくして此所に斬らる 」


ニコkazuみん・・偉大な業績を残しているのに、

あまり知られていなくて残念です。





参考
東善寺のHP





司馬遼太郎 著 「明治という国家」日本放送出版協会

週刊 日本の100人 「小栗 忠順」

Newton 3月号